Jitz. LIFESTYLE

アートと武術と、ライフハックと。

大成する人は「顔」が違う! ~成功者のファッションと人相学~

何かを成し遂げる人にはその相が顔に現れる。凡人とは違い、特徴的で印象的な何かがあるのだ。人相学もまた、古代中国では帝王学として、体系化されてきた学問のうちのひとつだ。史記に描かれている黄帝の人相は、いわゆる切れ長の目に盛り上がった額が特徴的だったとあり、中国でもとりわけ覇者の特長にあげられるのが鼻筋だ。

f:id:funk45rpm:20191025100705j:plain

 

大事を為す男子の鼻筋を龍鼻、虎鼻といい、龍鼻は鼻筋の通った長い鼻、虎鼻はやや団子形状ながら肉付きがよく横に張った鼻のことだ。日本でも鼻がでかい人間は出世するというが、その由縁はまさにここから来ている。これは一概に迷信ともいえない事情があって、其の人の生き様は顔に表れるものだ。

 

常に人を見下したり、斜に構える癖がある人は「三白眼」といって、黒目が上方に偏り、左右と下部の三方に白目の眼が出来上がる。簡単に云ってしまうと黒目が小さく、三角形をした目のことを云い、これは人相学上では凶相といわれている。実際に暴力事件や詐欺事件などでお縄になる人にはこの相が強いそうだ。このように其の人の思想や習性は、哀しいかな顔に出てしまうものなのだ。「人は見た目が9割」というのは、あながち間違いではない真実なのだ。

f:id:funk45rpm:20191025100903j:plain

 

卑屈な人生を歩んできた人はいびつな姿勢とそれなりの相が、大義を掲げ理想に燃える人にはそういう相が出るものである。長年生きてきたなかで身についた、人生と向き合う姿勢や態度というのが、どうしても表面化してしまうものなのだ。儒教を大成させた孔子もまた、異様な鷲鼻に釣り上がった目で、常人とは明らかに異なる貴顕の相が出ていたという。よく占い師が大器である人物に、「あんたは将来大きな人間になる」と言い当てる様が描写されるが、それもあながち謬説ではないのだろう。

 

そうはいっても、遺伝によって生まれ持ったものをなかなか変えることはできない。鬼臉の相など生来から備わってしまった人間は、運命に抗うことはできないのだろうか。そうではない。生得的なものだけではなく、人相というのは後天的にいくらでも修正できるものなのだ。それはなにかというと、服装や身だしなみである。服は着衣であると同時に常時身に付けている、あんた自身の思想や主張でもある。ここに気をつけない人間は、残念ながら人生の多くを損している。

f:id:funk45rpm:20191025100959j:plain

 

よく一流のビジネスマンは相手の靴で判断すると云われる。これはなにもピカピカの新品のような靴を見て、其の人の経済事情を把握しているわけではないのだ。いわゆる革の紳士靴というのは正しい扱いをしていると、経年でも永く使用に耐えるものになっている。むしろ一流の人、とくに欧米人が判断しているのは、古い靴をいかに大事に、愛着を持って手入れしているかを見ているのだ。それこそ新品に近い靴など、お金を出せば誰にでも買えてしまうからだ。

 

スーツや普段着にしても同じで、いかに自分の足りない部分を奇麗に見せられるように、着衣でカバーをしているかが問われている。サイズ感やシルエット、素材感など、其の人を其の人足らしめる独自の風合いを身につけられているか、冷静に自分自身を見れているかが衣服には表れてしまうのだ。なんでもないプリントもののデザインにしても、それ自体が着ている以上、あなたの主張になってしまう。他人が気を使わない部分に、いかに気を使えるかがあんた自身のビジネススキルに直結してしまうのだ。

f:id:funk45rpm:20191025101124j:plain

 

昔の日本人で、武士と呼ばれた階級の人たちが、なぜ丁髷(ちょんまげ)のような難儀で奇特な髪型を、戦以外で一時も崩さなかったのか。月代を毎日奇麗に剃り、髪を結う。丁髷を切り落とすことは、武士としての地位を捨てるにも等しいことだったのだ。そこまでして彼らがこだわったのは、いつ死んでも最期まで武士としての身なりを崩さずに、己の威厳のなかで死んで逝けるようにとの思いがあった。翻ってあんたは、いつ死んでも恥ずかしくない身なりをしているだろうか。

 

レオナルド・ディカプリオ主演で大ヒットした映画『タイタニック』で、沈みゆくタイタニック号のなかで自分は死ぬまで英国紳士だからと、タキシード姿を崩さず船と運命をともにする壮年の男性がいたが、まさにそのような気概や誇りをあんたは着衣に込められているだろうか。さすがにここまでは極端にしても、服があんたの印象をつくる。それならば、せめてユニクロやH&Mといった大量生産の規格品なんかに身を包んでいる場合ではないだろう。

f:id:funk45rpm:20191025101255j:plain

 

このように印象というものはいくらでも操作できる。そのようにいうとあまりポジティブではないような響きがあるのだが、持って生まれたものをどう扱うかよりも、後天的に自分自身をどう見せるかに努力し、気を使える人間のほうがステキではないだろうか。しかしながら街行く人々を見ていても、なかなかここに気を使えていないのが世の事情である。

 

かつて古代中国の思想書『老子』は、苦しみをともなう人生やしんどい経験は、天があたえた試練だ。その経験自体が自分自身の弱点を克服するための契機であると説いた。人相もまた、自分自身でつくり出し表出させるものだ。

 

苦しいとき、しんどいときこそ、かすかな希望を胸に抱き、歯を食いしばって前のみを見ようではないか。

その経験もまた、あなたの顔に相として出るものなのだから。

f:id:funk45rpm:20191025101404j:plain

 

漫画版 人は見た目が9割

漫画版 人は見た目が9割