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心身を開放し、あるがままの人生を歩む!禅の呼吸法

先日、縁あって成田山新勝寺で座禅体験をしてきた。座禅というのは所謂、禅宗と呼ばれる曹洞宗、臨済宗のもので、新勝寺は真言宗だ。真言宗の座禅を「密教座禅」といい、普段は臨済式の座禅を実践している俺もはじめての体験だった。

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どういう違いがあるのかというと、ずばり坐法に大きな違いはない。「数息観」という行法によって瞑想状態に入り、己の裡に分け入っていくのだが、ここからが密教座禅と臨済禅との違いが出てくる。臨済禅などでは通常、瞑想状態に入るとありのままを受け入れて「心を空っぽにしなさい」ということをいわれるのだが、この密教座禅では「自分の心の在り処を探しなさい」といわれるのだ。この座禅に対する態度が大きく異なるのだ。

 

新勝寺の本尊は不動明王であるだけに、座禅を組み心の在り処を探っていくと、次第に身体のうちから何やら熱を帯びてくる。ついには汗が吹き出すくらいに火照るのだが、こういった体験も臨済禅にはない特徴だ。坐法に違いがないのに、なぜこうまで身体の反応が違ってくるのか。それはその場を覆っている空気感(霊気)や自己との向き合い方の違いによるもので、これは宗派での神仏との向き合い方、距離感の違いに他ならない。

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あと瞑想を解く際にも、仏教でとくに厳格とされる真言宗ならではの作法があり、目からウロコの神秘体験となった。この日は護摩行も受けることができ、さすがは真言宗智山派の大本山だけあって、荘厳で壮麗な御護摩で祈祷することができ、平安時代から一日たりとも絶えることのなかったという火への信仰を目に焼き付けることができた。

 

さて、そんな貴重な体験によって改めて座禅の奥深さ、そして座禅の極意ともいえる呼吸法の真価をまざまざと味わった。禅と呼吸との関連については以前にも記事で取り上げたことがあるのだが、日常実践として禅の呼吸法をいかに生活のなかに取り込めばよいか。どのようにして活かせばいいかということについて、今回は考えていきたい。

 

そもそも臨済宗の再興の祖として、臨済禅を大成させ、今も崇められているのが有名な白隠禅師である。「君看よ、双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり」という有名な言葉にも非常に含蓄があるのだが、その白隠禅師もかつては大病を患い、結果、今でいう「うつ病」を発症していたらしいことが、名著「夜船閑話」のなかから読み取れる。

心下逆上し、肺金焦枯して、双脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寐寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。

 

そんな心身状態を克服するために座禅を活用し、独自の「内観」の秘法を編み出したのだが、その秘法が一般化して世間にも広まったものが、所謂「丹田呼吸法」だった。丹田とは東洋医学における関元穴に相当し、へその下3寸に位置する、気を集めて練るとされる体内の部位のこと。ここに意識を集中させて呼吸をしようというのが丹田呼吸法のことで、現代の声楽、つまりボイストレーニングなどでも活用されている呼吸法だ。

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ここで白隠禅師が秘法を編み出すための下地とした、古代中国における道家の原典『莊子』には「其の息するや深深たり。真人の息は踵を以ってし、衆人の息は喉を以ってす」と書かれており、そうすることで陰陽五行説にならい、上体で陽の気を取り入れ、そして足裏から陰の気を取り入れることが可能になるとされている。日頃から足裏に意識を向けて呼吸を行うことで、身体が妙に軽く、快調に感じられるようになるので、是非お試しあれ。

 

さて、現代人は深呼吸をする際に「吸って、吐く」ことが一般的と考えがちなのだが、東洋医学における呼吸とはその字面のとおり、実は「吐いて、吸う」ことが基本なのだ。そうしないと、悪い気を吐き出して体内を一時的に真空状態にすることでの浄化作用がなくなってしまう。だからこそ呼吸の順番や呼気の回数というのは非常に重要なのだが、いつしか忘れ去られてしまった古代人の知恵がここには秘められているのだ。

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ところで座禅というと、なにやら形式ばった堅苦しいものと思われがちなのだが、実は「休息万事 放下諸縁 一切不為」という言葉のとおり、万事を休息し、諸縁を放下し、一切為さずという意味のまま、実は心身ともに安らかで、リラックスした状態であることをいうのだ。無駄な思考を削ぎ落とし、正しい姿勢でただ座る。もちろん正しく座るためには訓練も必要ではあるが、人間本来のあるべき楽な姿を坐法のなかに発明した古代の禅宗の叡智にはいつも驚嘆させられる思いだ。

 

諸縁や因縁というしがらみのなかで生き、天・地・人からなる三界における天と地の恩寵を感じにくい現代の人間に、座禅は「中庸」であることを迫る。自然のリズムと同化し同調することで、人間をあるべき位置、しがらみから解き放たれた状態をつくり出すのだ。その自然のリズム、いわば地球の鼓動に呼吸を合わせ、自然界と一体になるからこそ見える大地の記憶。時間の果ての感覚。このような境地に立つには、なるべく日頃から自然に接し、声なき声に耳を澄ませる時間を持つことが重要だ。

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そのうえで意識的な呼吸を心がけると、きっと地球の記憶と同期し、見えない運命に導かれるように幸福な人生を歩めるようになるはずだ。

 

それでは、ご武運を。

 

白隠禅師夜船閑話

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荘子 全訳注 合本版 (講談社学術文庫)

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