Jitz. LIFESTYLE

アートと武術と、ライフハックと。

ブラジリアン柔術家は生き残れない…

今日は久しぶりの柔術ネタだが、手厳しいことを書く。というのも、柔術関連の記事を楽しみにして、定期的にチェックしに訪れる人たちがいることは把握してるが、そんなに僕が書くものに興味があるんなら、素直に『柔術インテリゲンチャ*1 』登録しろよってくらい、柔術コミュニティの人はむっつりスケベが多いのだ。ケツの穴ちっちぇえ…

 

そのくせ、本当にちゃんと見てほしい記事には目もくれず、耳障りのいい情報だけを無駄に浪費してくれているわけだ。手前味噌だが、おそらく真の武術家であればこのブログで一番面白いのは以下の2つの記事であるはずなのだが、多くの柔術系読者は自分に関係ない記事だと踏んでしまっているのだろう。正直、ここらへんの面白みを解さない人が、何故にこのブログを訪れるのか理解できん。ちったあ、本の1冊くらい読めってんだ。

 

なぜここ最近、僕が柔術に関する記事を書かないのか。それは今の柔術愛好家たちに向けて書いたところで無益だと分かったからだ。響かない。考えない。反応しない。それだけならまだいい。自分の気になるものだけを貪り、都合のいいように解釈し、気持ちよくなって帰っていきなさる。そんな人たちに向けて書いたところで、僕になんの利益があるだろうか。

 

今の日本の柔術愛好家たちの多くが、残念ながら以下のほぼすべてに当てはまる。

・エゴが強く、プライドが高すぎる

・誰かの後押しがなければ自分で判断できない

・意外と肝っ玉ちっちゃくて自ら行動しない

・物事の判断が、勝つか負けるかの勝敗論だけ

・お金がないので、心に余裕がない

・ファッションセンスなど感性に乏しい

 

実際に大会やジムに通う人たちをつぶさに見ていると、ある傾向に気がついた。それは過去になんらかのコンプレックスがあり、実社会で成し得ない欲求を現実逃避の手段として柔術にぶつけている人が多いということだ。まるでいじめられっ子だった劣等感剥き出しで、自分よりも弱い者を見つけると優越感に浸る高校デビューのヤンキーのように。正直、柔術に熱中する前に破綻した実生活をなんとかしろよ、と思ってしまう御仁も多い。

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僕が書いてきたことは一貫している。柔術の正史を紐解き敷衍して見ると、この国に広がるBJJは実は紛いものの文化ということなのだ。このブログを読んで、そのことに気がついた人は残念ながら今のところ皆無だ。いや、そもそもリアクションさえないから、理解して読んでいるのかさえ分からない。自分が取り組んでいるものを疑いもせず、日夜、どうでもいい道着なんかを物色し、他人のゴシップに愉悦を感じる下世話なこの国の柔術コミュニティには、ほとほと愛想が尽きる。

 

唯一生き残るのは、最も変化に適応できる種である。進化論の提唱者ダーウィンも言っている。変化に適応するためには、あらゆるものにヒントを見出し、それらの考え方を取り入れていかねばならない。まがりなりにも一柔術家として得た気づきを記事化しているのだ。にも関わらず、"柔術"カテゴリばかりをポチポチやってる読者は、お定まりの情報しか物色できない専門バカなのである。知識も雑食でなければ、これからの世の中を生き残ることはできないのだ。あんたの生き残りに必要なのは柔術か?いや、一番必要なのはまず経済力だろ。

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現代柔術の競技性にばかり目を奪われ、思考することをストップしてしまった時点で、もはや武術としての護身性を放棄して、たんなる荒くれ者たちによるスポーツに成り下がってしまったのだ。"Survive(生き残り)"を至上としたエリオ・グレイシーの柔術を曲解して体系化されたのが、今のブラジリアン柔術の原型となったホーウス・グレイシーの柔術だが*2 、日本で行われている柔術をエリオが見たら泣くぜ、きっと。

 

大きくは日本人という民族自体のヤンキー化傾向にあると思っている。反知性主義で徹底的に考えない。周囲の反応を見てから行動し、ポピュリズムになびく。唯我独尊で最終的に精神論に行き着く。典型的な日本ならではの国民性だが、なぜこんな事態になってしまっているのか。あんたらは本当にこの国の侍たちの末裔か?と問いたくなってしまう。

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一つには2000年代以降、堀部正史や松田隆智などのインテリジェンスを兼ね備えた理論派の武術家が姿を消したことで、日本の寝技文化が衰退したことが考えられる。武術がもたらす人間の可能性の追求、身体操作の哲学性が失われつつあるのだ。他方で打撃系の世界では井上尚弥や堀口恭司、那須川天心などのクレバーな現役選手の活躍もあり、ボクシングやK-1が空前の盛り上がりを見せている。彼らの戦いにはコンマ数秒の動きのなかにも必ず意図があり、けっして考える前に動いているわけではないことが分かる。

 

そもそも護身術自体が状況をもれなく正確にとらえ、“判断”すること、すなわち、「考える前に動く」ことよりも「動く前に考える」ことが大事なのである。なぜなら、いざという時の選択肢は、即座に戦うだけではなく、“逃げる”のはもちろんのこと、他に仲間はいないか、武器の携帯はないかなど瞬時に把握しないと致命傷になりかねないからだ。あなたが取り組んでいる柔術でそれが可能だとは思わない方がいい。ブラジリアン柔術とグレイシー柔術は形こそ似ているが、まったく非なるもので、それはグレイシー柔術のUFC戦士、ブライアン・オルテガのロール風景を見ていてもよく理解できる。いいか、これがグレイシー柔術だ!


Mike Everett flow rolling with Brian "Tcity" Ortega

 

ポジショニングとコントロールを重んじるグレイシー柔術では、静動織り交ぜた流れるような動きのなかで、形勢上やられているかのように思えても自然と相手をコントロールすることに長けた秘技が存在する。ここには脳が働くことで見える大局観の世界があり、パワーなど無縁なのだ。つまり護身術では、筋肉の使い方よりも脳の使い方こそが肝になるということだ。一方でパワーやスピードに頼った柔術家や格闘家は「武術家」を名乗ってはいけない。たんに柔術をやっていることに酔った自己陶酔者、というだけだ。この動画を見て、日本の柔術はオワコン*3 だと思ってしまうのは私だけであろうか。

 

実はかくいう僕も競技柔術の不毛さに気づき、ブラジリアン柔術をやめてしまった。試合に出るのも、やめてしまった。そして、2足のわらじを履いて学んでいたグレイシー柔術に完全に転向したのだ。まさにブラジリアン柔術よ、さようなら、だ。正直、この記事を書くことによって柔術系の読者を失ってもいいと思っている。むしろ、これからもブラジリアン柔術について書くつもりがない。だって、そもそもが以前の記事で以下のように書いていたのだ。はっきりいって、この記事がブラジリアン柔術との完全な訣別である。

このブログの柔術カテゴリーの論考や記事は、ゼミでの限定公開へ大きくシフトするのでこちらでのアップは大幅に減らします。

(『オンライン柔術ゼミ、『柔術インテリゲンチャ』開講!』より)

 

それでもなお、こうして書いているのは一人でも柔術の真実に気づいてほしいからだ。

日本の柔術家よ、頭脳を磨け!

 

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*1:オンライン柔術ゼミ、『柔術インテリゲンチャ』開講!』を参照のこと。

*2:拙著『ブラジリアン柔術の不都合な真実』に詳しい。

*3:無教養な読者のために書いておくと、オワコンとは「終わったコンテンツ」の略だ。