Jitz. LIFESTYLE

アートと柔術と、ライフハックと。

ガラパゴス化する日本のブラジリアン柔術

浸透しないモダン柔術

モダン柔術の申し子カイオ・テハメンデス兄弟の出現以降、ブラジリアン柔術の技術革新は加速度的に進み、多様な技術体系が生み出され続けている。それに伴い、DVDやストリーミング配信などで教則動画がコンテンツ化され、トップレベルの選手たちが使う最新鋭の柔術理論がアマチュア柔術家にも手軽にインストールできるようになった。まさに柔術界における情報革命ともいえそうな環境だ。

f:id:funk45rpm:20190513171331j:plain

 

ところが、JBJJF(全日本柔術連盟)のランク1グレードに位置づけられる大会を眺めてみても、それら最新の技術体系を目の当たりにすることは極端に少ない。日本発といえるような斬新な新技が生まれているというような状況でもない。それどころかアメリカ大陸のトップレベルがしのぎを削る新技の見本市、ムンジアル(世界柔術選手権)やパンナム(パンアメリカ柔術選手権)との隔たりは大きく、いまだ日本人選手にとって世界の壁は厚いままだ。柔術発祥の地である日本にとって、なぜこれほどまでに世界とのあいだに水をあけられる状況になってしまっているのだろうか。

 

柔道化する日本の柔術家

原因のひとつとして、国技である柔道の存在が考えられる。投げ技、抑え込みを至上とする講道館柔道以外にも、独自のルールと文化を育んできた高専柔道などの影響も強く、いまだ柔道には相応の競技人口が集まる。そんな柔道家たちが柔道の延長としてブラジリアン柔術を選択する例は少なくないし、そもそも日本ブラジリアン柔術史の草創期を支えたレジェンドたちはほぼ例外なく柔道出身者だったりもする。それだから、ブラジリアン柔術のなかにあっても「送襟絞」や「腕緘」、「打ち込み」といった柔道用語が、違和感なく日常的に使われているのだ。

f:id:funk45rpm:20190513162646p:plain

 

そういった背景もあってかJBJJFの大会を観ていても、さながら柔道の試合のように立ち技に終始したまま終わってしまう試合があったり、がちがちに力で抑え込んだことで肩を脱臼させてしまったりという光景はけっして珍しくない。もともとの柔術の成り立ちがバーリトゥード(異種格闘技戦)によるものだったことを考えると、どんな相手であろうが対処できる技術を身につける必要を感じさせはするが、しかしあくまで自覚があろうがなかろうが柔術家同士の試合なのだ。柔術らしい闘い方を期待したいところだが、コントロールという概念が希薄化した、柔道のような柔術が大勢を占めているのが実情ではないだろうか。

 

プロレス幻想の功罪

もうひとつのファクターとして考えられるのが、昭和後期に興ったプロレス・ブームである。日本人の欧米コンプレックスをプロレスという文脈から粉砕したジャイアント馬場。「ストロングスタイル」を標榜し、プロレス最強神話の礎を築いたアントニオ猪木。そして前田日明のUWFに端を発する格闘技色の強いレスリング、新格闘技としてのプロレスが脚光を浴び、高田延彦や船木誠勝によるヒクソン・グレイシーとの対決にまで発展した。この一連の流れをリアルタイムに目の当たりにしていた層が、少なからず今の格闘技界を支えている。

f:id:funk45rpm:20180423205506j:plain

 

なぜ、それが日本ならではの柔術観へと結びついていくのか。云わずもがな、「プロレス」という語は特定の流派や技術体系を指すものではない。むしろレスラーは既存の枠組みを外れ、一定のルールのなかで自由な発想で、個性的な技術を創造していくところに独特の面白さがあった。そうしたDIY的な愉悦が、無数にある技の中から選択的に体得し、自分ならではのスタイルを生み出していくブラジリアン柔術の自由度とも折り合いがいい。結果として、「強く」なるためにあらゆる手段を組み合わせていくという発想が助長されることに繋がっているように思えるのだ。つまり、それが技術論より「強さ」にフォーカスする風潮を強める結果となったのかもしれない。

 

指導哲学と技術体系のDIY化…

なぜ、このような問題が生起することになったのだろうか。大きな理由として、日本にはオリジネイターといえる源流の柔術指導者(マスターやプロフェッサー)がいないことが挙げられる。ご存知のように日本にブラジリアン柔術を持ち込んで黎明期を築いたのは、現JBJJF会長であり、総合格闘技界のレジェンド中井祐樹氏だ。まだブラジリアン柔術というものの存在すら知られていなかった時期にほぼ独学で術理を体得し、単身で世界に挑んだ。その功績をカーロス・グレイシーJr.に認められ、日本での柔術普及の使命を負ったことが始まりだった。

VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝 (角川文庫)

VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝 (角川文庫)

 

 

2005年にグレイシーバッハJAPANが正式にオープンするまで、グレイシー直系の道場はおろかアフィリエイトのジムも存在しなかった。中井氏もグレイシー一族の系統に位置する体系ではなく、特定の道場で修業を積み指導哲学を獲得したわけではない。つまり、日本にはピュアな柔術体系が古流以外には存在しなかったのだ。多くの道場が中井氏や平直行氏など総合格闘家やその門弟、柔道家、日系ブラジル人らによって運営されており、その結果、流派や系統などすべてがごった煮となった、バックボーンとアイデンティティを持たない日本独特のエコシステムが出来上がったのだ。

 

テクニックを支配する「原則」、プレーモデルの重要性

このような状況のなかで、世界に通用する日本独自の柔術の体系化は可能だろうか。その答えは「強く」なるための小手先の技術、テクニックなどではなく、柔術を柔術たらしめる「ビジョン」や「戦略」にあるのではないか。そう考えさせられる材料が、実はサッカーの世界では現実に起きている。というのも今、日本のサッカー・ジャーナリズムではさかんに「ゲームモデル」や「プレーモデル」という言葉が飛び交っているのだ。柔術同様に現代サッカーは様々な要素を内包するようになり、試合の勝敗を分ける因子がかぎりなく複雑化している。それによって思惑と戦術のはざまに主役であるはずの選手は立たされ、その動きをかぎりなく制約された状態にあるのだ。 

月刊フットボリスタ 2019年5月号

月刊フットボリスタ 2019年5月号

 

 

日本はサッカー後進国であるがゆえに独自のアイデンティティを持たず、代表にいたっては監督が変わるたびにスタイルさえ変わる。そんな選手の混乱を払拭する鍵となるのが、「プレーモデル」と呼ばれる行動規範のモデルだ。つまり、このような状況ではこう動きなさいという大まかな原則、方向性、チームとしてのビジョンが示された「理想的なゲームの進め方」のマニュアル集だ。すべてがデータ化され、試合中にもあらゆる情報が飛び交い、プレーだけでなく思考性までもが高度化した現代サッカー。そんな競技スポーツの勝敗を分ける要因は技術やテクニックだけでなく、なんのために勝つのか、そのためにはどう勝つのかという美学やインテリジェンスがより重要性を増しているのだ。

f:id:funk45rpm:20190513162532j:plain

※出典:上掲書より引用

 

同じように柔術でも、ある程度の「プレーモデル」が必要ではないかと考えられる。技と選択肢が無数に存在するとはいえ、本当に有効なもの、それぞれの美学やインテリジェンスに照らして最適な技術はある程度しぼられる。それらを明文化し言語化した果てに、独自固有の体系というものが形成される。選手個々の意思や身体性を尊重し、技の運用を委ねるのもブラジリアン柔術の自由性によるものだが、少なくとも選択肢としての可能性を提供する手段として、プレーモデルを指し示すのも指導者の責務ではないだろうか。今こそ日本の柔術として、「やるべきこと」と「やらざるべきこと」を仕分けするべき時だ。

 

より行動原則を高度化し、日本発の技術体系を組み上げろ!

f:id:funk45rpm:20190513161121j:plain