Jitz. LIFESTYLE

アートと柔術と、ライフハックと。

“絶対風景”のパースペクティブ 〜映画『セメントの記憶』〜

これはひょっとすると、映画史に名を残す映像作品になるのではないか。そう予感せずにはいられない、すごい映画を観た。映画の題名は『セメントの記憶』。建設ラッシュに沸く中東レバノン・ベイルートを舞台に、地上32階建てのビルの建設現場に働くシリア移民労働者の現状を、色鮮やかに映し撮った一大映像叙事詩だ。


シリア人受難のドキュメンタリーという事前の触れ込みだったが、そこに映し出されるのは特定の人物へのフォーカスではなく、ある人生の追体験でもない。内戦によって祖国を追われ、異国の地で寡黙に働くアノニマスな労働者コミュニティの現実を、詩情豊かな圧倒的映像美によって記録したものだ。不意に挿し込まれる散文詩のようなボイスオーバーのナレーションでは、セメントに纏わる父親との記憶がエピソードとして語られるが、それが誰にとっての物語なのかはわからない。


言葉が映像に従属する映画という意味では、タルコフスキーの撮影手法にも近い印象を受ける。象徴的に水のイメージを多用している点にも類似性はあるが、被写体を固定で垂直に撮影することで極端に遠近感が強調された映像の迫力はまさに圧巻だ。けっして一面では語ることのできない世界の拡がりを感じさせられる。作品のキーとなっている32階建ての、建設中のビルの様々な表情が象徴的に映し出される。

f:id:funk45rpm:20190501152242j:plain

f:id:funk45rpm:20190501153951j:image


かつて「中東のパリ」と称されたベイルートだが、1975年から90年まで激しい内戦が繰り広げられ、国土は荒廃し尽くした。隣国のシリア主導によって復興が進められ、そこに湾岸産油国の潤沢なオイルマネーも流れ込み、超高層ビルの乱開発が続く。そんな最中、2011年にはエジプトではじまった「アラブの春」が飛び火し、シリアでも内戦が勃発。アメリカとロシアの介入によって代理戦争のような様相を呈することにもなり、今なお激しい戦禍に巻き込まれている。


混迷をきわめる中東の政治情勢は、けっして日本人にとって身近なものではない。しかし、破壊と再生という何世紀も変わることのない人間の営みが、宿痾としてベイルートの復興に内在しているのだ。そして、この映画に映し出されるのは都市という亡霊に収監された人間の姿だ。地政学は「侵略」の論理だ。侵略はナショナリズムや国境線の問題だけではない。再生の象徴として描かれる近代建築もまた、文明や資本の侵略に他ならないのだ。戦禍を逃れ異国にやってきた労働者たちにとっての戦争も、まだ終わっていないことを暗示している。

f:id:funk45rpm:20190501154634j:image

f:id:funk45rpm:20190501155402j:image

f:id:funk45rpm:20190501154652j:image

 

「神の眼」とも称されるブラジルの写真家セバスチャン・サルガドは、かつてバングラデシュの船舶解体現場を写真に収めた。世界一過酷な労働現場といわれる場所に流れ着くのは、経済社会において富の移動を担い、役目を終えた商船や大型タンカーだ。資本主義経済の終着地としての船舶解体現場。資源を安価に買い叩かれ、略取され、環境汚染など高い代償を支払ってまで先進国の後始末を担うのは、いつだって発展途上の第三世界だ。資本主義は云うなれば、世界規模の壮大なネズミ講だ。そんな資本主義の終着地点で懸命に働く労働者の姿に、サルガドは一縷の救いを求めたかったのではないだろうか。

f:id:funk45rpm:20190501153526j:image

f:id:funk45rpm:20190501153539j:image


そんなサルガドのような、批評的でありながらも救いを求めるような眼差しが『セメントの記憶』にもありありと感じられる。戦争被害の連環の終着地である建設現場。絶望的としか思えないような状況下に生きる人間の姿。そして彼らが視る風景。時に無機質で冷酷に、バベルの塔のように峻厳に聳えながらも、創造的で幾何学的な美しさを宿した建設中の高層ビル。モダニズムと歴史的建造物が混在し、様々な矛盾を孕んだベイルートの禍々しくも美しい街並み。


あからさまな死もない、これみよがしの生もない。ことさらな意味もない。なにもない風景を、作家・辺見庸は著書『反逆する風景』の中で「絶対風景」と名付けた。『セメントの記憶』もまた冒頭から、地表を露わにした剥き出しの岩肌を目の当たりにし、そして中東の青天に聳える建造物の最上階に立つ労働者の姿を映し、天空に突き出した大型クレーン、砂上の楼閣のような危うさを孕みグルグルと流転する都市の景観など、きわめて絵画的でありながらどこか空疎な、荒涼とした「絶対風景」に満ちている。

f:id:funk45rpm:20190501152232j:image

f:id:funk45rpm:20190501152313j:image

f:id:funk45rpm:20190501152318j:image


それらの「絶対風景」は観る者になにかメッセージを放つでも、解釈を突きつけるわけでもない。ただ作中の労働者と劇場で観る者の眼前に存在するだけで、その差異を鮮明に浮かび上がらせる。労働者たちの瞳に映る絶対風景は、戦争の記憶とない交ぜとなり、絶えず繰り返される希望と絶望の連鎖から解き放たれることはない。破壊され瓦礫と化したコンクリートも、新たに建設され積み重ねられるコンクリートも、彼らにとっては同じ「死の匂い」であることに変わりはないのだ。

f:id:funk45rpm:20190501155423j:image

f:id:funk45rpm:20190501153911j:image


ミリ単位の厳密な構造計算のもとに設計された建築物と同様に、パースペクティブによる視覚効果まで緻密に計算された秩序的で美しいレイアウト。最新の機材と技法、音響によって立体的、重層的に組み立てられた『セメントの記憶』という構造物は、まぎれもなく21世紀最高の労働者の賛歌。アートフィルムの新たな可能性を提示してみせたこの傑作を、できるだけ多くの人に劇場で目の当たりにしていただきたい。

 

追憶の建築が織りなす、鮮烈なイメージの階層。映画は次のような一言によって幕を閉じるー

国外で働く全ての労働者に捧ぐ

www.sunny-film.com