Jitz. LIFESTYLE

アートと柔術と、ライフハックと。

自分だけの“龍”をまとい、そして武装せよ

「龍を見たことがあるんだ」。刺絡を施術してもらっている鍼灸院の医院長が突然云った。この医院長、当ブログにも度々登場してくるスピリチュアルなツワモノで、いつも興味深い話を聞かせてくれるのだ。その龍が写真に写っているということで、件の写真を見せてくれた。奈良県吉野郡の秘境、天川村は龍泉寺で撮ったものらしく、雪景色の塔頭がフレーミングされているのだが、たしかにレンズの前を白い何かが、閃光のように横切っているのが分かった。

 

ここ最近、やたらと「龍」を題材にしたスピリチュアル本や啓発書などが氾濫しており、精神世界の界隈でちょっとしたブームになっている。中には龍神を召喚した、話したことがあるなどと荒唐無稽な体験を語ったものもあり、かなり眉唾な話ではあるが、意外にも俺は「龍」という架空の生き物の存在を信じているのだ。

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身近に感じる“龍”の存在

今まで霊的なものを見たり、神秘体験といえるほどの濃密な経験をしたことはない。にも関わらず、幼少の頃から周囲の人の感情が移りやすい、いわゆるエンパス体質だった。今でも狭い空間のなかに大勢の人といたりすると、うわの空になってしまい意識が飛ぶことがある。それ故に見えるもの見えないものを問わず、存在を感じたり、気配を感じとるのはかなり敏感な方で、肌で感知する能力に長けているのだ。といっても、他人の体表電流や波動を感じ取るレベルがせいぜいで、触覚系といわれるような霊能者などでは決してない。

 

だから龍を見たことは残念ながらないし、その声を聴いたこともない。ただ、肌で感じるのだ。龍は自然のいたるところに宿っているし、龍をまとっている(飼っている)人さえ存在する。龍が存在するところには決まって、パワーが、生命力が溢れている。龍が滞留する場所には癒やしの力があり、龍をまとう人は漲るばかりの覇気を放っているものだ。つまり俺が云う龍とはのことであり、波動の象徴であるということなのだ。

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誰にも宿る“龍”の正体

そもそも、“氣”とは何だろうか。氣は東洋思想の根幹を成す基本ドクトリンなので、一概に説明するのは難しいが、古代中国における祖霊崇拝から生まれた概念で、世界を動かす原理であり、自然を司る“精霊”と言うこともできるし、万物を構成する“元素”と言うこともできる。古代中国人は、地上の氣の動きは月の満ち欠けと連動すると考えた。氣は水とともに流れていくものとする考えもあった。世界をつくる氣は、つねに流転し変化するものだったのだ。

「気」の不思議―その源流をさかのぼる (講談社現代新書)

「気」の不思議―その源流をさかのぼる (講談社現代新書)

 
気の発見 (幻冬舎文庫)

気の発見 (幻冬舎文庫)

 

 

“三玄の書”として名高い「老子道徳経」、「荘子」、「易経」は、そろって人間も万物も氣から成るとしており、日本の代表的な呪術である陰陽道でも、すべての物事が気によってつくられているとする考え方をとっていて、“念”の概念にも近しい。陰陽道自体が、良い気をもらい悪い気を受けないようにするという思想からつくられたものである。漢方医学は、人間は自然の摂理である氣の力によって生かされているという、自然観の上につくられたものだった。

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氣は現代を貫く近代科学の論理では不可視で捕捉不能な、世俗で経験的に育まれた自然科学の産物だ。道教という土着の信仰にも取り込まれ、武術とも邂逅して合気道などが生まれた。それ故に実証主義的な西洋的価値観に染まった目には、どうしても胡散臭さがともなう。しかし近年多発する精神疾患者や現代病と、それに対する鍼灸療法の発達によるエビデンスの増加などによって、この不可視なるものの力も大きく見直されつつある。経済発展と引き換えに失われつつある自然の景観、それらによって人体から氣が喪失しつつあるのだ。つまり、氣とは大地が人体に与える、大地から与えられる生命力や治癒力と解釈すべきなのだ。

 

棲み処がわかれば龍が見える

実際に氣には地理的制約が大きく付き纏う。家相の観点から氣に着目したのが風水学である。風水学では“龍脈”と呼ばれる、地層を縦断する氣の流れにフォーカスしている。龍脈の上で良い氣が集まる場所を“龍穴”という。この龍穴となるスポットを探し出し、都市や村落、家を建設することができれば、そこは繁栄するとされている。龍穴はどんな立地条件が多いのかというと、やはり河川や海岸線などの水際であったり、人里離れた山中であったりする。所謂パワースポットとされるところは、龍穴であることが多いのもまた事実。

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なぜパワースポットといわれる場所は神社仏閣が多いのか、お考えになられたことはあるだろうか。氣=大地の力ということは先述したとおりなのだが、現代社会では都市部の殆どの場所で大地のエネルギーが遮断されてしまっている。ありとあらゆる場所がアスファルトによって舗装されてしまっているからだ。そこへいくと古来より土地を守り続けている神社仏閣の多くは、手つかずの自然だったりする。そういう場所は、きわめて身体や精神が氣を吸収しやすいのだ。そんな霊界とのポータルになっている場所では、できるだけ裸足が良いだろう。神体山や御百度詣りなどで裸足が推奨されるのも、氣が増幅されるためだ。

 

龍は大地の力を象徴するものだけに、御神体や御神木にも宿っている。霊験あらたかな自然の景観の中には多くの龍を見つけることができる。樹齢の永い大木や巨石、ちょっとした草叢や地層のなかにも宿っていたりする。また氣は変転するエネルギーの流れなので、常に移ろいゆくものだ。巨大なエネルギーが移動するので、ラピュタの“龍の巣”よろしく雲にもその兆候が出たりする。感受性豊かに日常のちょっとした変化に目を向ける余裕さえあれば、あんたにもきっと龍が見えるはず。

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幸運を呼ぶ龍を、自分に宿らせる方法

冒頭に龍をまとった人がいることを仄めかした。龍をまとうことができれば、物事を大きく前進させるバイタリティが漲り、様々な恩寵も得られる。何より龍をまとうことで人を惹き寄せる力が覚醒する。異性関係だけではなく、有益な人脈によってポジティブ・フィードバックが形成されることが多い。こういう人の周囲にはたえず笑顔があり、側にいる人間も恩恵をこうむるものだ。対照的に負の感情によって、稀に邪龍をまとってしまった人を見ることがある。そういう人は邪気を吐き散らし、周囲にもいい影響がないので要注意。

 

それでは自ら龍をまとうにはどうするべきか。氣は清浄な身体にしか宿らない。だから、タバコや薬物、過剰な酒など不浄な有害物を取り込まないことが第一だ。それらをすべて断つことからはじめよう。そのうえでオススメなのが、起床時と就寝前にお茶を摂ることだ。できれば熱いお茶を。氣は冷たい人体を嫌う。これは漢方の基本。お茶には浄化作用があるので、心と身体を清めるという意味でも良い習慣なのである。茶種はなんでもいいのだが、季節によって替えてみるのもまた一興だろう。個人的にはマテ茶などをお勧めしている。

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漢方は食と呼吸が人間の体をつくるということを前提にしている。食については「食養」という考え方が発達しているので文献にあたるなどして、このブログでも以前に禅という視点から食事法の記事を書いているので、そちらをご参照いただければと思う。驚くべきことに、禅仏教と陰陽道のあいだにも共通点は多いのだ。呼吸法については改めて技術解説を書いていくつもりなので、乞うご期待。

www.sandinista.xyz

 

あんたにも、龍が宿ることを切に願う。Good Luck!

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※参考文献

半信半疑で手にとってみたら、まさに俺が考えていた龍と見解を同じくして、マジ感動した。実証的な観点から神仏について書かれているので、スピリチュアル苦手な方にもオススメ。

龍の神様と出会うたったひとつの方法 人生に幸運をもたらす六龍の法則

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