Jitz. LIFESTYLE

アートと柔術と、ライフハックと。

魂と覚悟の写真家論 ~アーティストを志す者たちへ~

写真鑑賞論と題して写真の見方、楽しみ方を論じたり、有名写真家によるInstagramアカウントを紹介した記事を書いたので、それなりに写真好きな御仁も拙ブログに流入してこられているようだ。ただ哀しい哉、おそらく未だ多くの方がアートや芸術というものを取り違え、勘違いされているように見受けられる。

 

それは見る側だけではなくて、撮る側の人間にも共通する問題で、美術評論家・大野左紀子の言葉を借りると、現代は何もかもがアートとして括られる「アート・ヒステリー」であり、誰でも彼でもがアーティストな「アーティスト症候群」に憑かれているということなのだ。同時期に写真を撮りはじめた友人が、かつて云った。「難しい理屈とか理論とかどうでもいい。そんなことに囚われて写真を撮りたくない」。それはある意味では真を突いていて、ある意味ではアートとして撮ることの困難さを理解していない発言だった。

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アーティストであるかぎりは確固としたビジョンを持ち、作品には己の哲学を宿さなくてはアートと呼べない。それを常々主張し続けているのだが、この本質を理解した本格派の新進作家が、雨後の筍のように生まれているとは決して云えず、むしろ年々減少しているようにさえ思える。現に俺が写真集コレクターとしてリスペクトしている、roshin books の斉藤篤氏のブログで紹介される新作写真集もここ数年は極端に少ない。

 

それでは、写真家はどうあるべきなのか。俺なりの写真家像を浮かび上がらせ、あるべき写真家論を書いておきたいと思った。現代の写真家を考える上で参考になるのが、ホンマタカシが書いた『たのしい写真』という書籍だ。これから書くことの大まかなアウトラインは、この書籍の内容にも重なる。写真家を志す諸氏においては必読文献と云えるだろう。

たのしい写真―よい子のための写真教室

たのしい写真―よい子のための写真教室

 

 

誰もが芸術的なものの象徴として思い描くのが、いわゆる美しい風景だったり、絵になる光景だ。かつてはそれが芸術になり得た時代があった。第二次世界大戦以前の、近代と呼ばれる時代だ。その頃に活躍していた写真家といえば、アンリ・カルティエ=ブレッソンやロベール・ドアノー、ロバート・キャパ等、一度は聞いたことがあるだろう錚々たる巨匠たちだった。

 

この世代の写真家の使命は、目に見える偶発的な出来事や劇的な瞬間を、現実の一コマとして構図のなかに封じ込めること。彼らは絵画では表現することができない、偶然の産物としての視覚的な快楽を、現実のなかに見出していたのだ。いわずもがな、キャパの代表作である「崩れ落ちる兵士」はその最たるものだ。戦場という一般人には非現実的な現実というセンセーショナルな内容に、撃たれた瞬間というあまりにショッキングながらも未知なる斬新な構図。誰もがこんな光景を現実でも、ましてや絵画でも見たことがなかったのだ。

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一見すると日常のなんでもない風景を写したロベール・ドアノーの絵画商の写真も、それぞれ視線の先を追っていくと、興味の対象が構図のなかで円環するという怜悧な愉悦がしたたかに表現されている。余談だが、彼の「パリ市庁舎前のキス」は奇跡の瞬間を撮った作品として有名だが、これが実は役者による演出だったという点で後に物議をかもした。

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カルティエ=ブレッソンの代表作は奇跡的な刹那の一瞬を、計算され尽くした幾何学的な秩序のなかに映し出すことで、日常の営みにある美を浮かび上がらせる。つまりフレーミングによって写真をキャンバスに見立て、ある一時点にフォーカスし、きわめて絵画的に図像を切り取った彼らのムーブメントを、ホンマは“決定的瞬間”と総称した。

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次にホンマが目を向けたのは、1970年代にアメリカで起こった“ニューカラー”と呼ばれる潮流だった。ニューカラーはその名のとおり、それまで芸術写真においては非主流であったカラー写真によって、発展著しい社会の新たな風景を切り取りはじめた世代だ。ウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショア、ジョエル・スターンフェルド、ジョエル・マイロウィッツ等が代表的な写真家に挙げられる。

 

ほぼ例外なく彼等が撮り続けたのは、“決定的瞬間”のような劇的な瞬間でも、非日常の光景でもなく、どこにでもある、なんでもない普通の風景だった。しかし、そこに写し出されていたものは、これから何かが起きそうな“気配”だったり、または何かの“痕跡”としての日常だったのだ。

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写真は目に見えるものしか写すことができない。その特性を逆手に取ることで、彼等はそこに流れる“時間”を、そして“世界”を撮っていたのだ。ここから写真史に革命が起こった。写真に写るものは象徴でしかない。目に見える被写体から目に見えない何かを読み取る。芸術写真は写真家が提示するものを、鑑賞者が観るだけではなしに、感じ取るものへと変貌したのだった。その瞬間、写真もまた形而上的な現代アートになったと云える。

 

俺の体験を少しだけ語ろう。写真を本格的に撮ろうと思いはじめた頃、真っ先に撮りはじめたのが禅寺の枯山水の名庭だった。古来から存在する東洋の美の象徴を現代的な手法で写真に撮ったらどうだろうか、と考えたのだ。そして実際に撮ってみると、本当にこれでいいのか自分の手法に疑問が生じはじめた。そんな折、娼婦やジャンキー、ギャングといった禁断の被写体を、社会の暗部からアブストラクトでスキャンダラスに撮ることで有名なマグナム*1 所属の写真家、アントワーヌ・ダガタ*2 が来日していることを知り、彼に会いに行ったのだ。

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新宿ゴールデン街で写真家が集う名物バー『こどじ』に、ダガタ(以下、アントワン)はいた。無謀にも開口一番「俺の写真を見てくれ!」と懇願し、実際に撮ったばかりの写真を見てもらった。いいね、素晴らしいと前置きしたうえで、アントワンはこう云った。「だが、この写真には残念ながら君が見えない。君が写り込んでいないんだ」。そして、おもむろに自分の作品を取り出した。それは一人の女性を撮ったポートレート写真だった。

 

「いいかい、ここにポンプ(注射器)が写ってるだろ?」、アントワンが云った。たしかに女性の背景にテーブルがあり、よく見ると注射器が置いてあるのが分かる。「これは僕なんだ。この注射器はまさに僕なんだよ」。狐につままれたような顔の俺を諭すが如く、アントワンが続ける。「これが彼女の世界の全てであって、僕も彼女とこれで繋がることができる。だから、この写真にはこれが写り込んでいる必要があったんだよ」、と。このときのアントワンのレクチャーによって、俺ははじめて写真家のビジョン(世界観)の真髄を思い知らされた。

 

目に見えないものを写し出すという作業は、まさに哲学的な営みというほかない。写真家は1日24時間、思索し続け、日々おのれの視界と格闘しなければならない。だから冒頭の友人の主張は、ただ楽しむためだけの写真ならば正論だが、あくまでアートとして提示する写真であるならば、自らの透徹した観念抜きに写真を撮ることはできないのだ。“決定的瞬間”や“ニューカラー”の写真家たちが模索し続け、そして今に続く写真家に受け継がれる使命は、写真にできることは何で、写真にしかできないことは何か。これを考えることでしか、写真史は前進することができないんだよ。

 

この写真の本質を、今の写真家は忘れてしまってはいまいか。俺自身は自ら撮ることに挫折してしまった人間だが、はっきりとこれだけは云える。写真を撮るということは楽しいと同時に、とてつもなく苦しいことなのだ。

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 ※アントワンの作品を取り上げるうえで、もっともオススメするのが日本の赤々舎で翻訳されたこの写真集だ。これは500頁を超える大著で、彼の主要な作品を一望できるうえに、彼の思考の軌跡を自身の言葉によってテキスト化している。つまり、写真家が何を考え、どう現実に向き合っているのかを垣間見ることができる貴重な1冊だ。

Anticorps 抗体

Anticorps 抗体

 

※以前に写真鑑賞論で紹介したことがある、金村修による写真家論。無頼派としての悲壮な覚悟と矜持、そしてそれを可能にする緻密で強靭な思想と、骨太の精神が思考のエッセンスとして惜しみなく凝縮されている。是非読んでみてほしい。

漸進快楽写真家 (インディペンデントな仕事と生き方の発見ノート―YOU GOTTA BE Series)

漸進快楽写真家 (インディペンデントな仕事と生き方の発見ノート―YOU GOTTA BE Series)

 

*1:世界最高峰とされる写真家グループで、日本にも支社がある。

*2:1961年11月19日、フランス生まれ。1980年ごろより10年間フランスを離れて世界中を放浪している。ダガタは写真を撮る際、被写体となる犯罪者、ドラッグ中毒者、娼婦など、社会的な「闇」の中で生きている人々と積極的に関係性を持って作品にしている。そうした思考の基底にあるのは、写真を撮影行為のみ切り離して考えるという近代的な写真観への懐疑であり、むしろ、自らも被写体が生きる世界の一部となって、彼・彼女らに肉薄した写真を撮り続けている。(出典:D'agata, Antoine アントワン・ダガタ