Jitz. LIFESTYLE

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誰にも教えたくない、至高の焼き鳥屋:関西編

他人には教えたくない店というのが、人それぞれにあると思う。何を隠そう、無類の“焼き鳥”マニアである俺にとってそれは当然のように「焼き鳥屋」だ。マニアと自称するくらいだから、名店と噂されるところは軒並み足を踏み入れてきた。とくに本拠にしている京阪神地区では高級店・大衆店を問わず、美味いと評判の店はほぼすべて網羅したと思われる。今の仕事を手がける前には好きが講じて、本気で焼き鳥屋を開業しようとしたくらいだ。

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なにゆえ焼き鳥なのか。以前に焼き鳥に魅せられることになった経緯を別の記事で書いたこともあるのだが、焼き鳥というのは端的に云ってしまえば、捌いて、焼くだけのシンプルな料理だ。シンプルであるがゆえに、切る、焼く、調味するという最低限のお約束ごとだけの簡素な調理法には無限のパターンが、バリエーションが存在する。

 

まさに職人技が生み出す味の小宇宙なのだ。ミニマリズムの極致だ。シンプルであるがゆえにちょっとした違いが浮き彫りになる。シンプルにどう表現するか、料理人のセンスと技術が眩く光るのだ。焼き鳥はまさに、少ない手数の中に無限ともいえる奥深さを宿した究極の「食禅」と云える。

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焼き鳥はどのようにして料理として顧客の眼前に姿を現すのか、その過程を追ってみよう。まずは素材だが、どの鶏をチョイスするかで店の方向性は決定づけられる。地鶏か、軍鶏か、はたまた尾長鶏かコーチンか。それらをどう仕入れるかも重要だ。やはり生鮮肉である以上、鮮度というのは重要な要素なのだ。

 

より良いものを、より早く仕入れるためには多少の廃棄ロスは折り込みずみで産地から一羽買いするか。それともたとえ品種がある程度かぎられても、よりニーズにマッチした部位だけを経験豊かな卸問屋の目利きで選別して届けてもらうか。まさに仕入れは飲食店の生命線なのだ。次に解体と串打ち。要らない部位を削ぎ落とし、一口大の大きさにカットして串に打っていく。たとえ問屋から仕入れた素材であっても部位のまわりには不要なものが残っているので、“掃除”といわれる下ごしらえをしなくてはならない。その結果、仕入れた肉の総量が最終的には2/3以下にまで減ることも多い。

 

ここから「熟成」や「脱水」と呼ばれる処理を施す店もある。さらに肉には繊維というものがあって、この繊維の方向によって口あたりが変わってしまう。なので、食べたときの口どけと食感を想定しながら繊維の方向と形状、大きさを決めて串にさす。串打ちは完全に重心をとらえないと焼き台に乗せたときにうまく裏が返せなくなり、焼きムラができてしまうので相当な技術が必要だ。そしてここまできたら、ようやく満を持しての“火入れ”になるわけだが、ただ焼くにもガス火で焼くか、炭火で焼くかの違いは雲泥の差である。

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ガス火は表面温度が高すぎて理想的な焼き上がりになりにくい。その点、炭は扱いが難しく火力が一定しないものの、遠赤外線効果があるので芯まで火をとおすことが可能になるし、炭の香りがうつるスモーク効果もある。そして火の入れ方によっても食感や味わいが微妙に変化してしまうので、焼き手は細心の注意を払いながら加減を計算しつつ焼き上げる。優れた焼き手は炭の扱いのプロでもあるのだ。焼き鳥1本の裏には、涙ぐましいまでの職人の努力と哲学が存在するのだ。

 

焼き鳥はもともと、ギリシャやローマ時代に金串に鶏や羊の肉を刺し、焚き火で焼いて食べたものが起源らしい。それが北欧にも広がりアメリカへと渡ったものが「ブロシェット」として完成する。ブラジルの「シュラスコ」もこの流れだ。他方でトルコやインドを経由しアジアに伝わったものが竹串料理として発展を遂げ、タイやマレーシア、シンガポールで甘いタレを纏ったものが「サテ」となり、日本に伝来したのが焼き鳥の直系祖先と考えられる。

 

そんな日本で独自に根ざした焼き鳥の美学を極限まで追求したといえるのが、大阪は福島でも一、二を争う人気店の『かしわや 闘鶏(しゃも)』だ。福島で焼き鳥といえばミシュラン一つ星獲得の『あやむ屋』が名店のほまれ高いが、どちらかというと繊細でいて王道な『あやむ屋』とは対照的に『闘鶏』は大胆にして豪放、だけれども奇をてらわず徹底して素材の可能性を追求した手数の少ない仕事が至高の輝きを見せる。

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有り体に云ってしまうと、中性的な印象の前者に対して後者には間違いなく男性的な野趣を感じさせられる。焼き鳥を“食べる”のではなく、肉を“食らう”感覚。あきらかにそこまで噛みごたえを計算して、やや大ぶりにカットしてあるのだ。味付けは塩こしょうをベースに、コクがありながらサラッとした喉ごしのいいタレ焼きを織り交ぜながら変化が楽しめる。下の写真を見てもらうとよく分かるが火入れも芸術の域に達しており、部位ごとに絶妙な食感になるよう技巧が尽くされていて、まるで侘びた静かな佇まいの中に燻し銀の美しさを醸す数寄者自慢の大名物茶碗のような威厳を放っている。

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焼き鳥といえば「ねぎま」や「つくね」など共通理解としての“焼き鳥”のイメージがあり、それを期待してお客も来店しているわけだから、焼き鳥串自体にはあまり創作性を付与することができない。そこで店のセンス(創作意欲)が反映されやすいのが実は野菜串だったりするわけだ。ちなみに店の個性が出やすいのは「つくね」、というのは俺の持論。

 

とくにコースなどで食感に変化をつける、視覚を楽しませる意味でもアクセントになったりするのだが、『闘鶏』の焼きものもやはり手数は少なく、しかし素材同士を絶妙にマリアージュ(掛け合わせ)させ、極上の箸休めに仕立てている。あくまで肉を食らう原始の感覚にどっぷりと浸る串ものの合間に、洗練された都会的な感覚によって一気に文明に引き戻されるかのようだ。闘鶏の焼きものは歌舞伎のような華やかさをまとっていて、ワインとの相性がすこぶる良い。

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『闘鶏』の焼き鳥の真髄を味わえるのが、「ソリレス」という希少部位と「通天閣」と名付けられた見事なやげん軟骨だ。ソリレスとはもも肉の付け根、腸骨のくぼみにある部位のことで一羽に2つしかとれない。常時動いてる箇所なので、肉がしまっていて独特の噛みごたえとジューシーな肉汁が堪能できる。語源はフランス語の「Sot-l’y-laisse」で「愚か者」という意味になる。この見つけづらくも最高に美味い部位を残すのは愚かだ、そういうことのようだ。この部位が手に入るということはその店が一羽買いしていることの証左でもある。個人的には是非ともタレ焼きで味わいたい部位だ。

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そして通天閣だが、これもまた男性的な食感を意図してかなり大ぶりに軟骨がカットされており、周辺の肉もたっぷり残されている。「骨の髄」と云うとおり、この軟骨周辺の肉は骨のエキスがしみ出しバツグンに美味いのだ。これぞ骨付き肉の真骨頂といえる仕上がりだ。

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また、この店はサービスレベルも格段に高く、現代にはめずらしい極上のもてなしが受けられる。完全予約制で、予約を入れると同時に云い渡されるいくつかの禁止事項があるのだが、冷静に見てみるとおもてなしを受けるうえで至極まっとうなことばかりだ。それらを小煩く感じる人間もいるだろう。

 

一方で頑固親父のこだわりの店として認識されているフシもある。しかしルールを守れば、店主の物腰もやわらかく素晴らしい接客を受けることができる。出されたものはすぐに食べる、時間的余裕を受け入れるといった細則もあるが作り手の自負と配慮によるもので、その思い入れに足るものが供されていることを考えると、本来はサービスの受け手が持ち合わせるべきマナーでもあるのだ。

 

くどくどと薀蓄を述べたが、本筋ではない予備知識や陳腐な形容詞も本当は必要ないのかもしれない。なにより実際に味わっていただくことが最高の体験になるし、最高の体験に言葉はいらない。純粋な食への欲求を呼び醒ます場所、それが俺にとっての闘鶏なのだ。

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