Jitz. LIFESTYLE

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「喪われたもの」の社会学

これから、とりとめのない話をしようと思う。理由は単純で、社会学者・岸政彦の『断片的なものの社会学』という本に触発されたからだ。この本はある意味で衝撃的な内容であるわけだが、どういう本なのかを客観的に説明するのは難しい。本文にそのまま物語らせることが適切だと思うので、冒頭の一節をそのまま引用してみる。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

以下、『断片的なものの社会学』イントロダクションより。

私は、ネットをさまよって、一般の人びとが書いた厖大なブログやTwitterを眺めるのが好きだ。五年も更新されていない、浜辺で朽ち果てた流木のようなブログには、ある種の美しさがある。工場やホテルなどの「廃墟」を好む人びとはたくさんいるが、いかにもドラマチックでそれはあまり好きではない。それよりもたとえばどこかの学生によって書かれた「昼飯なう」のようなつぶやきにこそ、ほんとうの美しさがある。それに比べれば犬の死はかなり強い印象を残すエピソードだが、私はどうしてもあのできごとを、なにかの「ストーリー」にまとめることができないでいる。小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。それらはただそこにある。

 

すべてが上記の文章の中に表現されている。端的に云って「ただそこにある」というだけの話が、とりとめなく語られている本なのだ。著者本人も書いていることだが、要は「何が書いてあるのかはっきりとわからないが、妙に記憶にだけ残る」、まるでJ・D・サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』みたいな、断片的な話の集積なのだ。

 

通常、他者に読んでもらうことを前提にした文章というのは、ある秘密に向かってすべてが収束していく構造になっている。だからこそ文章としてひとつのまとまりがあり、終りがある。ところがこの『断片的なものの社会学』は、そうしたある種のお約束ごとを前提としていない文章体系なのだ。そのパラドキシカルな視点と思考が、この本のなんといえない魅力となっているのかもしれない。

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「喪われてしまったあとに見出されたもの」というのはえも言われぬノスタルジーを誘い、ドラマチックなものだ。しかし、この本の中で語られていることは「喪われてしまったあとに見出されなかったもの」だ。たまたま著者の目に触れたがために文章化されたものの、社会的にはいまだ見出され得ないものたち。当たり前のことではあるが、そういった死屍累々の膨大な「見出されなかったもの」のうえに俺らは立脚しているのだ。今あんたが読んでいるこのブログだって、誰も読まなけりゃただの「見出されなかったもの」の集積にすぎないしな。

 

以前の記事でも紹介した、いわた書店の一万円選書で店主・岩田徹さんの人生を変えた1冊として名高い『逝きし日の世の面影』という本もまた、「喪われてしまったあとに見出されなかったもの」について書かれた名著だ。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 

 

江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れた欧米人の手記や書簡を手がかりに、世界でも類を見ないかつての日本の豊かな精神文明の姿を解き明かしている。ここでもまた、著者の素晴らしい序文で全体像が見事に物語られているので引用しておこう。

文化は生き残るが、文明は死ぬ。かつて存在していた羽根つきは今も正月に見られる羽根つきではなく、かつて江戸の空に舞っていた凧は今も東京の空を舞うことのある凧とおなじではない。それらの事物に意味を生じさせる関連、つまりは寄せ木細工の表す図柄が新しく変化しているのだ。新たな図柄の一部として組み替えられた古い断片の残存を伝統と呼ぶのは、なんとむなしい錯覚であろう。

 

本文中でも日本研究家チェンバレンが「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」と見えたという話が収録されているのだが、決して経済的に裕福とはいえない未開社会であった当時の日本にあって、独特の「情緒」を宿した精神性が花開いていたというのがこの本の大きな骨子となっている。なかでも当時、下田を訪れた要人たちの談話が印象的だ。

十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国の国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコック〔英国初代駐日公使〕でさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征の際に下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの四年後に下田を訪れたオズボーンには、街を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうでありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」

  

「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ」と考えていた。ところがこの記述のあとに、彼は瞠目に値する数行をつけ加えずにはおれなかったのである。「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」

  

喪われてしまった日本人の精神性を指摘した著作といえば、数年前にも1冊読んでいたのを思い出した。日本ならではの侘び寂びの思想が体現された枯山水の庭園として有名な京都・龍安寺石庭の真の妙味は、謎を秘めたあの15個の石の配置でも演出でもなく、幾多の歳月を世俗から隔絶し続けてきた油土塀にあると喝破した森神逍遥『侘び然び幽玄のこころ』だ。

侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識

侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識

 

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この本の中で森神は日本人なら誰もが宿していた心象風景としての侘び寂び(然び)は、わかりやすくデフォルメされた枯山水や茶の湯の世界などにあるのではなく、実はなんでもない簡素な農村の日常の中にあったものだと云う。それは孤独に根ざした死生観にもとづくもので、必ず土の臭いのするものだった。しかし近代産業の到来により、日本は農村社会とともにその精神性や情緒を捨て去ってしまったのだと指摘する。

 

ふたたび『逝きし日の世の面影』から異邦人の談話を引用してみよう。上述のように農村で培われた精神性が、かつての陽気で気さくで、そして謙虚な日本人の心を醸成していたのだろう。まさに「逝きし日」のことであり、今はもう見ることのできない光景である。

エドウィン・アーノルドも「俥屋にお茶を一杯ご飯を一杯ふるまって、彼のお礼の言葉を耳にすると、これがテムズ川の岸で、まぜもののビールをがぶ飲みしたり、ランプステーキに喰らいついたりしている人種とおなじ人種なのかと、感嘆の念が湧いてくる」と言っている。彼は明治二十二(1889)年の仲通りと銀座の群衆について次のように記す。「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる」。田舎でも様子は変らない。弟妹を背負った子どもが頭を下げて「おはよう」と陽気で心のこもった挨拶をすると、背中の赤児も「小っぽけなアーモンドのような目をまばたいて、小さな頭をがくがくさせ、『はよ、はよ』と通りすぎる旅人に片言をいう」。茶屋に寄ると、帰りぎわに娘たちが菊を一束とか、赤や白の椿をくれる。礼をいうと、「どういたしまして」というきれいな答が返ってくる。

 

こうした日本人が「喪われてしまったあとに見出されなかったもの」は、最近観たDVDの中でも出会うことになった。インドネシア・バリ島を舞台に事業に失敗し自殺を考えていた主人公が突如、地元の日本人大富豪・アニキと出会い成長していく姿を描いたコメディ映画『神様はバリにいる』だ。

神様はバリにいる DVD通常版

神様はバリにいる DVD通常版

 

 

この映画の中で堤真一扮するアニキがバリ島を拠点にする理由を、今の日本では感じることができない「なんにでも感謝する心」を持った素朴な島民たちによって、感謝の環が連鎖するからだと答えるシーンがあるのだが、まさに『逝きし日の世の面影』の中で語られているかつての日本人の姿と重なり、とても象徴的だった。

 

結局のところ、俺らは資本主義の経済システムの中で情緒的な冗長性をいとも簡単に、そして合理的に捨て去ることができるわけだが、この捨て去った側の方が自然淘汰的に残されたものよりも文明的には実は重要なものであったのではないか。最近、そう思うようになった。捨て去ったが最後、後戻りのできない選択であるほど容易に捨て去ってしまえるという都合のいい性質を人間は備えているものなのだ。

 

喪われたものはリファレンスとして文化財や文化遺産の名のもとに保管され、いつでも参照できるという見方もできるかもしれないが、存外に重要な文化というのは記録としてよりも口伝などの伝承でしか伝わってないのではないかとも思う。考えてみてほしい。本や文書というのは不特定多数を想定して伝えられることが前提なので、抽象的で普遍的な内容になりやすい。しかし特定個人に向けられたアドバイスや口承は、前提や条件を共有したうえでより真相を突いた深い叡智であることが多い。

 

伝承でしかアクセスできない偉大な叡智として有名なのが、ネイティブ・アメリカン(所謂、インディアン)の教えだ。それらはどちらかといえば「喪われてしまったあとに見出されたもの」ともいえるが、そもそも未発見で「そこに最初から存在し、そして失われることもなく、だが誰の目にも触れないもの」として、いまだ閉ざされたままの叡智である可能性のものもあるはずだ。

 

これも以前の記事でも紹介した、中沢新一の翻訳で伝説のインディアンの口承を集めたジョセフ・ブルチャックの著作『それでもあなたの道を行け』から、「喪われつつある」偉大な叡智を例によってここでも引用しておこう。ちなみに、下記の2つの引用で出てくる「ワカン・タンカ」とはスー族の伝承に伝わる絶対的な真理であり、宇宙の創造主のことだ。

それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム

それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム

  • 作者: ジョセフ・ブルチャック,中沢新一,石川雄午
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私の大好きな話に「第七番目の方角」というのがある。私はこれを、現代ラコタ族のすぐれた伝承の語り手である、ケヴィン・ロックから教えてもらった。それはこういう話だ。

「グレート・スピリツトであるワカンタンカは、六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレート・スピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときにいちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ。」

 

インディアンは崇拝するのが好きだった。誕生から死にいたるまで、インディアンはまわりにあるものすべてに敬意を抱いていたのだ。彼は自分が豊かな母なる大地のひざに抱かれて生まれたと考えていたから、彼にとっては、この大地のどこにも、軽んじていい場所など存在しなかった。インディアンと偉大な<聖なるもの>とを分かつものなど、なにもなかった。誰でも、すぐに<聖なるもの>に触れることができたし、ワカンタンカの祝福は、まるで空から雨が降り注ぐように、インディアンの上に注がれていたのだ。ワカンタンカは、人間からはるか遠いところにいるものではなかったし、たえず邪悪な力を抑えようとしているわけでもなかった。ワカンタンカはけっして動物や鳥を罰することはなく、人間をも罰することはなかった。ワカンタンカは罰する神ではなかったのだ。なぜなら、<善なる力>を上まわり凌駕する、邪悪な力の支配などという発想自体が、なかったからだ。ただひとつの支配する力だけがあた。つまり、<善なる力>だけが、この世界を支配していたのだ。

ルーサー・スタンディング・ベアー首長(フコタ族)一九三三年

 

とりとめなく始めてしまった話だから、最後もとりとめないままに終わろう。喪われてしまったものにまつわる話、また何処かでお目にかけられれば本懐に候。

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