レンズの詩学

The Art Of Surviving Life , and Wisdom

誰かに心酔するってのは“覚悟”が必要だ

最近、刺激のある知的インプットが少なかったので本屋に寄ってみた。なんだか好奇心を掻き立てるような魅惑的なトピックの本があんまし刊行されてないよんだよな。そりゃ感度のいいアンテナが何も受信しないワケだ。

 

それにひきかえ国際情勢や外交もの、経済関連の解説書のたぐいは次から次へと新しいのが刊行されている。世の中の趨勢を伝えるものだから新たな動きに合わせて出さないとダメなんだろうが、それだけ刊行物があるってことはそれを支える需要もあるってことだ。

 

日本人って、そこまで世界の動きを注視しなきゃいけないほど投資意欲が旺盛な人種でもないし、そもそも国内の株式市場の出来高を支えてるのは外国資本が大勢だ。一体どーゆー人が、どんな目的のために読んでるんだろ。国際情勢に敏感に反応しなきゃならない必要性がある職種て、世の中そんなに多いものだろか?

 

でも、まあ今オピニオンリーダーって言われてる人たちが池上彰や佐藤優だったり。いわゆるインテリジェンス筋の人たちが世論をひっぱってるわけだから、そのフォロワー層というのが確実に存在してる。

 f:id:funk45rpm:20170711225143j:image

 

彼らはしきりに世界の動きを予測しろって煽ってるわけだが、はたしてその言に従い世界情勢に通暁できる教養を身に付けた結果、人生の糧にできてる人ってのがどれだけいるもんだろうか。そこまでして世界の動きを把握することが一介のサラリーマンたちにとってどれほどの有益性があるんだろ。

 

ひとつ断っておくと俺は盲目的な成功哲学や安直な言葉に集約される自己啓発が嫌いだ。強烈な思考は現実化する、みたいなね。論拠が薄いじゃん…。かぎりなく唯物論的に物事を捉える性質なもんでさ。演繹的な合理性を備えてない考え方ってのが信用できないから、その人の経験にもとづく思想の変遷の過程でたどり着いた必然性ってのが見えないと、そもそもアンテナが感受しない。その信念自体が盲信的だといわれてしまえばそれまでだけど、個人の実体験とリンクしない言葉ってのは実に無力なものなんだわ。

 

何かを信じることで、人間が救われたり強くなったりすることも否定はできない。何かに迷ってる最中に出会う、耳障りのいい誰かの言葉や考え方は確かにあんたの人生を変えてくれるだろ。でも、その言葉は本当にその人が発している言葉だろうか。その人は本当に実践した末に人生をより豊かなものにできてるんだろうか。

 

逆説的に言ってしまうと、ある人の言ってることを鵜呑みにする以上はその人の人生を追体験することはできるだろう。しかし、その人の人生以上のことは体験することができないってことなんだ。思考の枠組みに型をつけてしまうってことは、それ以上の発想はできないってことなんだよ。でも、その当の本人たちは本当にそのスキルやマインドセットによって人生を謳歌できてるだろうか。このサバイバル社会を生き抜く、絶対的な“力”を手にできてるのだろうか。

 

大切なことは、あんた自身の過去の経験に耳を澄まし、何が必要なのかを徹底的に考えるってこと。経験上の何かがその枠組みを本当に欲しているのなら直感を信じて迷わずそれに従えばいい。でも経験がともなってない盲信は、あんたを単なる自己啓発マニア教養バカに仕立て上げてしまう。

 

『世の中に飛びかっている情報ってものには必ずベクトルがかかっているんだ。つまり誘導しようとしていたり、願望が含まれていたり。その情報の発信者の利益を図る方向性が付加されている。』

ー バグダッシュ中佐の言葉:銀河英雄伝説より

f:id:funk45rpm:20170711222952j:image

 

誰かに心酔するってことは、それなりの覚悟が必要だ。何かを信じることなしに人は生きていけない。でも、世の中には「影響されやすい人たち」ってのが相当数存在する。その言葉を発することで得をする何者かが対極にはいる。その存在を感じながら、ときに参考にする、受け流すに留めておくってことも同じくらいに重要なんだって話。